先日の日曜日、私はタジンを作りながら英語のレッスンをしていました。前日にエアコンが壊れてしまい、キッチンのテーブルには扇風機。ぬるい風を回しながら、二人で、長い材料リストを次々と刻んだり量ったりしていました。予定していたレッスンとは、まるで違う一日です。それでも、その1時間が、その日いちばん良い時間になりました。

気づいたことがあります。朝、机に向かっていたとき、生徒さんは言葉を慎重に選び、何度も間を置き、「合っているかな」と私の顔をうかがっていました。ところがキッチンでは、その緊張がすっとほどけたのです。自分から質問し、していることを英語で口にし、途中で言い直しては、また続ける。同じ人の、同じ英語です。違うのは、手が動いていて、二人で何かを作っている、ということだけでした。

この変化の理由を、改めて英語教育の研究に照らして考えてみました。予想は当たっていました。

机の前は、「テスト」に似てくる

二人が机を挟んで向かい合い、片方が「先生」だと、その形はどこか試験に似てきます。生徒さんが文をつくり、先生がそれを評価する。長く言語不安を研究してきたエレイン・ホーウィッツは、「まちがいを評価されることへの不安」こそ、大人が話すのをためらう大きな要因だと指摘しています。向かい合う机は、その不安をそのまま大きくしてしまいます。

スティーヴン・クラッシェンは、これを「感情フィルター(affective filter)」という考え方で説明しました。心の中にある、感情のゲートのようなものです。不安を感じたり、見られていると思ったりするとゲートが上がり、言葉の出入りをさえぎってしまう。反対に、安心してリラックスできると、ゲートは下がります。一緒に料理をする時間は、このゲートを下げてくれる、いちばん確かな方法のひとつだと感じています。

共同作業が助けてくれる

その場の目的が「スパイスを入れる」「焦がさない」といった具体的なことになると、英語はもう、調べられる対象ではなくなります。目的にたどり着くための「道具」に変わるのです。意識が「文法は正しいかな」という形から、「左のを取って」という意味へと移ります。流暢さが生まれるのは、まさにこの切り替えの中です。ルールから一文ずつ組み立てるのではなく、すでに持っている言葉に手を伸ばすようになります。

共同作業は、伝えることの半分を肩代わりもしてくれます。材料は目の前のカウンターにありますから、指をさし、身ぶりを交え、二人に見えているものに頼れます。言語学ではこれを「いま・ここ(here-and-now)」の言葉と呼びます。目の前にないものや、抽象的なことを話すより、ずっと口にしやすいのです。キッチンは、話すための舞台と、話す理由を、そっと差し出してくれます。

そして、並んで同じ作業をすると、二人の関係も少し変わります。「教える人・教わる人」から、「一緒にお昼を作る二人」へ。この小さな段差の消え方が、大人が新しい言語を話すときに抱えがちな気おくれを、和らげてくれます。

偶然うまくいったこと

タジンを選んだのは、材料を全部用意するのに時間がかかると分かっていたからでした。その時間がほしかったのです。あとになって気づいたのは、手を動かす準備の時間そのものが、学びになっていた、ということでした。ピーター・スケハンの研究は、人が一度に注意を向けられる量には限りがあり、流暢さ・正確さ・複雑さのあいだで分け合っている、と教えてくれます。あわただしい作業は、その注意を使い切ってしまう。手を動かす工程の多い作業は、インスタントポットに入れる材料を用意しているあいだに、考えるための小さな余白を残してくれます。その余白は、より落ち着いた、より整った話し方となって表れます。

だから、壊れたエアコンと扇風機は、たしかに困りものでした。けれど、手間のかかるレシピは大正解。むしろ次も、手を動かす時間がたっぷりあるレシピをあえて選ぶと思います。

学ぶ側にとっての意味

言語は、じっと座って勉強するのが、いちばんの近道ではありません。自分が本当に気にかけている「何か」をするために使うことで、身についていきます。藤枝の1日国内留学は、まさにこの考えでつくりました。料理や、本当の会話や、手を動かす活動を中心にした一日です。同じ理由で、私は意志の力よりお家で続けられる仕組みを大切にしますし、こなしたページ数より脳が言葉をどう覚えているかを気にかけています。

誰かに見られたとたん英語がぎこちなくなるとしても、あなたが何かを間違えているわけではありません。ただ、意識が別のところに向いているあいだに英語を使う機会が、まだ足りていないだけです。キッチンでも、庭でも、作業台でも構いません。何か一緒にできることを見つけて、手を動かしながら、英語で話してみてください。